10月8日
今更ながら、SMAP解散について考えてみた。
っと言うのも、つい先日「おじゃMAP」という番組に
ジャニーズの後ろ盾がなくなってもこうやってTVに出れるというのは、
それほどまでに、SMAPというアイドルが国民に認められてるという事だ。
つまり、SMAPというより草彅だったり香取だったり個人が商品なのだ。
例えば、別段面白い話をしているわけでもないにチャンネルを変えず、
なんとなく眺めていられる。
それって芸能人として相当強みだと思う。
さまざまな娯楽コンテンツがあり、視聴者も目が肥えてきている昨今、
こういう「そこにいる」だけで見てもらえる芸能人は希少だと思った。
そして、俺もそんなyoutuberに絶対なってやるぜ!!!
10月7日 おはぎの日記①
シャリ君と一緒に宇宙人に攫われた後、僕は人間の言葉を理解し、その上話せるようになった。
シャリ君は宇宙人に攫われた事を夢だと思ってるみたいだけど、そうじゃない。
あの夜、僕らはほんとに宇宙船に乗せられたんだ。
宇宙人の一人が僕に手をかざすと、僕の心臓がバクバクして気が遠くなっていった。
そして、気づいたらお気に入りの毛布にくるまっていつも通りの場所で目が覚めた。
さぁて、人間の言葉を話せるようになったは良いけど、これシャリ君にどのタイミングで言おうかなぁ。
きっと、みんな驚くだろうなぁ~
10月5日 重度障碍者施設のぞみの園続き
昨日の日記の内容にもう少し言いたいことがあるので付け足そうと思う。
ようするに俺があの動画を見て何を感じたかと言うと、
自分がいかに恵まれた環境や状態にいるということなのだ。
俺にはさまざまなシチュエーションに於いて、選択権がある。
これはわりとみんな当然のことのように日々行使しているわけだが、
この選択権というのはデフォルト装備ではない。
それこそ、のぞみの園の入所者と俺とでは選択の幅が大いに違う。
例えば、俺は好きな時に好きな場所で好きな物を食べたり買ったりできる。
しかし、あの施設の入所者はそうはいかない。
この何でも自ら選択できるという自由をもっと強く感じ取れたとしたら、
もう少し肩の力を抜いて楽に生きていけると俺は思った。
そして、この特別な装備を使ってなんかしらの形で社会に貢献したいな。
10月4日 重度障碍者施設のぞみの園
群馬県の丘の上にある「のぞみの園」という国立の障碍者施設の動画を見た。
この施設には現在300~400人程度の重度知的障碍者の人が入所している。
ちなみに入所者の年齢層は高めで40歳とか50歳、さらには80近い人もいるので、
当然、入所者の親が亡くなっているケースも多々ある。
そして、その入所者たちの大半が10年、20年というロングスパンで施設に滞在しているのだ。
この動画では入所者の一日を密着取材しており、どんな風に障碍者の人たちが日々過ごしているかが良くわかる。
大抵の入所者たちがうつろな目を携えて日がな一日ボーっと過ごしており、
正直、俺の目からすると生ける屍のように映った。
最後にナレーションを務めるリリーフランキーが、
「もし出来ることなら本当は彼らを。。。」という観覧者に対する投げかけで、
動画は終わった。
俺はその問いの答えとして、「殺してしまった方が良い」という言葉が真っ先に浮かんだ。
非人道的で不謹慎な発言かもしてないけど、
彼らが自主的に生きているとは到底思えなかった。
だから、早く安楽死させてこの苦難から解放してあげた方がいい気がしたのだ。
ただ、この発言は健常者である俺のエゴに過ぎない。
幸福感が主観に依存していると痛感する。
10月3日 悪魔の証明
宇宙人について考えてみた。
今のところ、宇宙人はいるかいないかわからん状態なわけだけど、
個人的には宇宙人いる説を支援している。
なぜかというと、宇宙人がいないという結論が出ていないからだ。
これはかの有名な悪魔の証明だ。
「いない」事が証明されない限り「いる」ことも否定できない。
だから、俺はより夢のある宇宙人いる説を押しているという話。
ちなみにこれって人間にも当てはまってて、
例えば職場で何かにつけて上司に密告する奴がいるとする
「こいつゴミくずだな~」って思うわけだけど、
「ゴミくずじゃない状態でないこと」を全て証明することが出来ない限り、
「こいつはゴミくずだ」と断定は出来ないってことだ。
だけど、俺は嫌いなやつにはゴミくずレッテルを貼る。
「仕方ねぇな~ゴミだから」って、寛容な心でそいつと接することができるからだ。